2024年(令和六年)2月4日 日曜日 如月 心宿 旧暦廿五

2019年 北野天満宮
2019年 北野天満宮

おはようございます。本日のお日柄は以下の通りです。

立春 : 一七時ニ七分 太陽黄経三百十五度のときにあたり、旧暦正月寅の月の正節で、新暦では2月4日頃、節分の翌日になります。暦の上では旧冬と新春との境目にあたり、この日から春ですが、まだ寒さは厳しい候です。

日出  06:39/109度
日没  17:11/250度
昼時間 10:32

月出  23:07/103度
月没  09:47/259度
正午月齢20.6

つちのえ いぬ :(戊犬)相場は片より変動なし

赤口 : 新規の事始めはもちろん何事をするにも忌むべき日とされています。ただし正午のみ吉。

なる : 成 新規ごとの開始はすべて成就達成の結果を得て吉ですが、訴訟、談判などには凶です。

星(せい) : 乗馬始め、治療始め、便所改造吉。婚礼、葬式は凶。

● : 黒日 歴注の中でも、特別の大凶日とされ、百事に用いてはなりませんが、葬式だけは妨げなしとされています。

八白 : 【天 象】立春・気節の変り目・曇天・天候の変化一月(丑月)二月(寅月)・午前一時~三時(丑刻)・午前三時~五時(寅刻)・東北方六〇度【色・数】黄色・褐色・五・十【象 意】山・親戚・継目・節・相続・親子・兄弟・姉妹・改革・交代・変化・断絶・曲り角・停止・終点・閉店・廃業・再起・復活・集団・組織・組合・交代・組み立て・貯蓄・終始・連絡・取り次ぎ・進級・中退・連鎖反応・接続・連繋・反転敵船・伝統【人 物】小男・幼児・相続人・兄弟・親子・後継者・強欲の人・肥満した人・女系家族・仲介者・売春周旋人・養子・山伏・山中の人・囚人・再生業者・不動産業者・少年・孤児・親友【植 物】竹の子・苛・甘藷・馬鈴薯・山芋・百合根・つくし・木になっている果実

東京のお天気  雨のち晴れ

最高気温 9度 / 最低気温 3度

満潮   10:00  *
干潮   3:37   18:25

◇◇◇今日のひと言◇◇◇

立春、おめでとうございます!お天気は曇り空で冷たい雨も降っています。この時期らしいお天気です。こんな日曜日には、お家時間をたっぷりと満喫できれば大成功ではないでしょうか。私は映画鑑賞を楽しみます。『星』もあるので、アンチエイジング日和りも楽しみましょう。

☆彡 ☆彡お花の事☆彡 ☆彡

メタセコイア(花言葉「平和」)ヒノキ科メタセコイア属

メタセコイアは、中国原産のヒノキ科メタセコイア属の落葉高木です。メタセコイアは、樹高が30メートルを超え、幹の直径は1メートルを超え成長することがある、大型のものです。葉は線状で、新緑から深緑へと移り変わり、秋には鮮やかなオレンジ色に染まります。メタセコイアは、中生代(約2億5,217万年前~約6,600万年前)から生きている植物で、日本をはじめ、北半球の各地で化石として発見されています。当初は化石しか発見されていなかったため、絶滅種とされていましたが、1946年に中国の四川省で現存種が発見され、「生き た化石」として当時一躍有名になりました。メタセコイアは、セコイアと似ていますが、メタセコイアが落葉樹、セコイアが常緑樹といった大きな違いがあります。

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♡♡♡ 今日のとっておき ♡♡♡

【ダウンマフラー】寒い1日も楽しく元気に。


彡§彡 日本の庭園と公園 §彡§

【新潟県 新発田市】清水園(しみずえん)

屏風のようにそびえ立つ二王子岳。その背後から端麗な姿をのぞかせる飯豊連峰。つらなる山並みを東にあおぐ、通称・阿賀北(阿賀野川北部)に10万石の城下町・新発田はあります。初夏はあざやかな緑、秋には稲穂の黄金色にそまる、水田にかこまれた静かな田園都市です。こうした美しい水田は、江戸初期以降、農地づくりに励んだ先人たちの豊かなる遺産でもあります。近世の新発田は、慶長3年(1598)に加賀大聖寺から6万石で領地に入った、溝口秀勝から始まります。秀勝を藩祖とする新発田藩は、12代直正の時代に廃藩置県を迎えるまで、274年間にわたり溝口家に統治されてきました。慶長15年(1610)には沢海藩が分家されて表高は5万石になり、250年後の万廷元年(1860)には、幕府の海防体制を担うとして10万石に。3代宣直の時代になると幕藩体制が確立され、藩主の権力は安定していきました。 一方、藩をあげて取り組んでいた新田開発もおおいに進みます。藩財政も充実し、庶民の生活にもゆとりが生まれ、人々の意識はさまざまな方向へ発展しました。そんな新発田藩の溝口家下屋敷(敷地4,600坪=15,180㎡)※は、宣直の寛文6年(1666)に棟上げされ、4代重雄の元禄6年(1693)に完成。重雄の時代には、遠州流の茶人で幕府茶道方であった縣宗知が江戸から招かれ、庭園もつくられました。※正確には4,600坪は×3.3058=15,200㎡です。清新な気風がみなぎった、江戸の元禄文化の舞台はここ越後の新発田にもととのい、藩主や家臣らを茶の湯や能楽の世界へ誘うことになります。このように、地方分化の機運を大きくかもし出した清水谷御殿でしたが、時の移ろいとともに役目が落ち着き、明治24年、越後屈指の大地主、沢海村の伊藤家の所有に、以後昭和21年には(財)北方文化博物館が管理するところとなりました。それに伴い沢海(現在の新潟市江南区)の北方文化博物館・本館の作庭を手掛けた庭師・田中泰阿弥氏が、清水谷御殿の全体を修復し、「清水園」として現在の姿となりました。池泉と一体となり景観に溶け込むような5つの茶室、京都から運んだ石を配し古記録と聞き込みに基づき修復した結果、越後から東北にかけて他に比を見ない名園となりました。(清水園HPより)

彡 ω彡 ご一読ありがとうございましたω彡ω彡

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