2023年1月3日(火曜日)睦月 旧暦十二日

おはようございます。本日のお日柄は以下の通りです。

東京のお天気 : 晴れ

最高気温 11度 / 最低気温 2度

日出  06:51/117度
日没  16:40/242度
昼時間 09:49

月出  13:39/ 62度
月没  
03:25/295度
正午月齢
10.7

満潮   3:43   13:45
干潮   8:13   21:04

かのと とり :(辛酉)相場は寄り付きに倣う

三碧 : 【天 象】春・晴れ・雷鳴・雷雨・駿雨・稲妻・地震・噴火・三月(卯月)・午前五時より午前七時(卯刻)・東方三〇度【色・数】藍・青・薄みどり・三・八【象 意】晋・震・雷・音・虚・創始・発見・発明・革新・発育・顕現・露見・新説・鋭敏・果敢・率直・迅速・雄弁短気・病癖・偏屈・詐欺・驚愕・爆発・騒動・音・声・楽器・電気・火事・成長・伸びる・進む・独立・向上心・伝言・嘘・喧嘩・銃声【人 物】長男・青年・祭主・賢者・聾者・唖者・雷親爺・どもり【植 物】植木・盆栽・海草・茶

大安 : 陰陽道でこの日、婚礼、旅行、建築、移転、開店等、何事をするのにも吉の日とされています。

おさん : 納 五穀の収納、商品の買い入れなどには吉ですが、婚礼、見合いなどは凶です。

觜(し): 稽古始め、山仕事始め、運搬始め吉。仕立物の着始め凶。

神よし : 神事祭礼、宮参りに善く、不浄のことには忌む日とされています。

福岡筥崎宮 玉せせり : 【玉取祭/玉せせり】玉取祭は別名「玉せせり」といい、全国に知られる祭(九州三大祭)である。起源は定かではないが、今から約500年前の室町時代に始まったとされ、昔から盛大かつ厳重に行われている神事です。午後1時の玉洗い式にて祓い清められた陰陽2つの木玉は、東側に約250m離れた場所にある末社玉取恵比須神社に運ばれる。ここで祭典の後、陽の玉は裸に締め込み姿の競り子達に手渡され祭典開始となる。この玉に触れると悪事災難を逃れ幸運を授かるといわれており、競り子達は勢い水を浴びながら陽の玉をめぐり激しい争奪戦を繰り広げながら、本宮に向かって競り進みます。やがて楼門に待つ神職の手に渡され、陰陽2つの玉が再び揃って神前に納まり、めでたく神事は執り納めとなります。陸側と浜側に分かれた玉の争奪戦は、一年の吉凶を占う年占いの意味合いもあり、陸側が玉をあげれば豊作、浜側があげれば豊漁と云われている。

◇◇◇今日のひと言◇◇◇

お正月はいかがお過ごしでしょうか。初詣は八幡様へお参りにいきました。今年の開運日の張り紙がありました。どうやら1月6日はとても善いお日柄のようです。いまからとてもワクワクしています。

☆彡 ☆彡お花の事 ☆彡 ☆彡

満作(花言葉「ひらめき」)マンサク科 / マンサク属

マンサクは冬の名残のある野山などで、木々の芽吹きも始まらない季節に、黄色の花を咲かせ、いち早く春の訪れを告げる花木です。花がよく咲けば豊作、花が少なければ不作など、稲の作柄を占う植物として古くから人との深いつながりをもっていました。そこから満作の名がついたとも、開花期が早いことから「まず咲く」や「真っ先」が変化したともいわれています。落葉期に咲くため、小さいながらも花がよく目立ちます。美しい紅葉も楽しめ(10月中旬から11月)、水平に伸びる枝には整然とした美しさがあります。成長が遅いので、狭い場所にも植えることができます。マンサクのほか、シナマンサクや、両者の交配種も出回っています。マンサクは黄花でやや控えめな印象ですが、シナマンサクや交配種は花が大きく、黄から濃赤色まで花色も豊富です。いずれの品種も丈夫で寒さに強く、栽培は容易です。


彡§彡 日本の庭園と公園 §彡§彡

【岩手県】 奥州市立 斎藤實記念館(おうしゅうしりつ さいとうまこときねんかん)

斎藤實が、昭和6年に朝鮮総督を辞任した時、朝鮮の官民から一宮別邸を増築する足しにでもと言って、相当の金額を贈られた。これを受けた斎藤實は、いろいろ考えた末、一宮の家に手を入れるよりも郷里水沢に文庫でも造った方がよいとして、朝鮮の方々の了承を得た上でその計画に取りかかった。先ず吉小路の生家の跡が他人の手に渡っていたのを、町長やその他の斡旋によって買い戻し、その場所に文庫を建てる計画で工事に着手。翌昭和7年に工事は完了した。(設計は海軍省技師に依頼、工事は大林組が請負) 斎藤實の生家の跡に建築された文庫は、鉄筋コンクリート2階建ての書庫と付属の建物とからできており、付属の建物には閲覧室兼用の日本間(南側)と帰省時に寝泊りする洋間(北側)とを配置した。現在書庫には38,200冊の本が収められており、その範囲はかなり広く、中でも昭和初期の政治史料や1,700冊にも及ぶ朝鮮関係の図書は、貴重な資料として研究者に利用されている。 なお水沢町では「邸宅を文庫として町民の使用に供するのは忍びない」として、隣接地に斎藤子爵記念事業会の手によって【皋水記念図書館】が昭和16年に建設された。これが水沢市立図書館の始まりとなった。※斎藤實は昭和7年10月に内閣総理大臣として初めて帰省した際に立ち寄った他に数回来ている。昭和10年8月に20日間ほど滞在したのが最後。※春子夫人は、斎藤と同伴で水沢に来た時に立ち寄った。また、昭和20年3月に水沢に疎開して以来、白寿(99歳)で亡くなるまで27年間、斎藤實の「愛郷心」を承けて旧宅でお暮らしになった。(斎藤實記念館HPより)

ω彡 ω彡 ご一読ありがとうございましたω彡ω彡 

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