2024年(令和六年)7月9日 火曜日 文月 女宿 旧暦四

東京都指定有形文化財「百段階段」2018
東京都指定有形文化財「百段階段」2018

おはようございます。本日のお日柄は以下の通りです。

日出  4:33 / 61度
日没  19:00/299度
昼時間 14:27

月出  7:23 / 68度
月没  21:22 / 288度
正午月齢 3.2

きのえ いぬ :(甲戌)人気と反対の相場出づ

先負け : 諸事控えめにして静観するのがよいとされ、急用や公事は避けること。午後は大吉。

たいら : 平 物事が平等円満に成立する日です。地固め、柱立て、婚礼その他の祝い事は円満の結果ですが、池、溝、穴を掘るなどには凶です。

室(しつ)  祈願始め、婚礼、祝い事、神仏祭祀などよろずよし。

月とく : 月徳日 その月の福を司る日で何事をするにも吉となっています。

八白 : 【天 象】立春・気節の変り目・曇天・天候の変化一月(丑月)二月(寅月)・午前一時~三時(丑刻)・午前三時~五時(寅刻)・東北方六〇度【色・数】黄色・褐色・五・十【象 意】山・親戚・継目・節・相続・親子・兄弟・姉妹・改革・交代・変化・断絶・曲り角・停止・終点・閉店・廃業・再起・復活・集団・組織・組合・交代・組み立て・貯蓄・終始・連絡・取り次ぎ・進級・中退・連鎖反応・接続・連繋・反転敵船・伝統【人 物】小男・幼児・相続人・兄弟・親子・後継者・強欲の人・肥満した人・女系家族・仲介者・売春周旋人・養子・山伏・山中の人・囚人・再生業者・不動産業者・少年・孤児・親友【植 物】竹の子・苛・甘藷・馬鈴薯・山芋・百合根・つくし・木になっている果実

東京のお天気  晴れのち曇り

最高気温 37度 / 最低気温 28度

満潮   6:04   19:42
干潮   0:48   13:07

東京浅草観音ほおずき市 :  7月9日・10日、浅草寺境内を彩るほおずきの屋台は、浅草の夏の風物詩である。この両日は四万六千日の縁日であり、縁日にともなってほおずき市が催される。平安時代頃より、観世音菩薩の縁日には毎月18日があてられてきたが、室町時代末期(16世紀半ば)頃から、「功徳日」といわれる縁日が設けられるようになった。功徳日とは、その日に参拝すると、100日、1,000日分などの功徳が得られるという特別な日を指す。功徳日は寺社によって異なるが、現在、浅草寺では月に1度、年に12回の功徳日を設けている。このうち7月10日は最大のもので、46,000日分の功徳があるとされることから、特に「四万六千日」と呼ばれる。この数の由来は諸説あり、米の一升が米粒46,000粒にあたり、一升と一生をかけたともいわれるが、定かではない。46,000日はおよそ126年に相当し、人の寿命の限界ともいえるため、「一生分の功徳が得られる縁日」である。四万六千日の縁日の参拝は江戸時代には定着し、われ先に参拝しようという気持ちから、前日9日から境内は参拝者で賑わうようになった。このため、9日、10日の両日が縁日とされ、現在に至る。四万六千日にともなうほおずき市の起源は、明和年間(1764〜72)とされる。四万六千日の縁日は浅草寺にならって他の寺社でも行なわれるようになり、芝の愛宕神社では四万六千日の縁日にほおずきの市が立った。「ほおずきの実を水で鵜呑み(丸飲み)すれば、大人は癪(なかなか治らない持病)を切り、子供は虫気(腹の中にいると考えられた虫による腹痛など)を去る」という民間信仰があり、ほおずきを求める人で賑わったそうである。その愛宕神社のほおずき市の影響を受け、四万六千日の大本である浅草寺にもほおずき市が立った。ちょうどお盆の季節でもあり、ほおずきを盆棚飾りに用いる方も多い。かつては、四万六千日の縁日に赤とうもろこしを売る屋台もあった。これは赤とうもろこしが落雷除けのお守りになる由の民間信仰により、文化年間(1804〜18)頃に境内で売られるようになったという。ところが明治初年(1868)頃、不作によって赤とうもろこしが出回らないことがあった。これに困ったご信徒が浅草寺に雷除けのお守りを求めた縁から、浅草寺では竹串に挟んだ三角形の守護札を授与するようになった。これが今も四万六千日に授与されている雷除札である。9日・10日の両日、いなせな恰好の売り子たちが声をあげてほおずきを売り、境内は朝から晩まで参拝者で埋まる。

鷗外忌 : 本名森林太郎。1862(文久2)年、代々津和野藩の典医を務める森家の長男として生まれました。10歳のとき父と共に上京し、ドイツ語を学び東京大学予科に最年少で入学。大学では医学を学び、卒業後軍医となりました。1884(明治17)年からは、軍の衛生学の調査及び研究のためドイツへ留学しました。帰国後は軍医としての仕事のかたわら、小説「舞姫」「雁」「山椒大夫」「高瀬舟」、史伝「渋江抽斉」などを執筆。医学・文学の評論や小説・戯曲等の翻訳、ヨーロッパ文学の紹介などを行い、明治を代表する知識人として活躍しました。1907 (明治40)年には陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任、1916(大正5)年まで務めました。陸軍を退職した翌年からは、帝室博物館総長兼図書頭の職につき、上野の帝室博物館や秋には奈良の正倉院にも赴き、亡くなる直前まで仕事を続けました。千駄木団子坂上にあった「観潮楼」には家族とともに30年間、1922(大正11)年7月9日、60歳で亡くなるまで暮らしました。

◇◇◇今日のひと言◇◇◇

毎年やっぱりこの時期には鰻をいただきたくなります。今年はどこの鰻にするか、お家時間でひつまぶしにしようか、検討中です。

☆彡 ☆彡お花の事☆彡 ☆彡

ヘメロカリス(花言葉「とりとめのない空想」)ツルボラン科ワスレグサ属

ヘメロカリスは初夏から夏にかけて次々と花を咲かせる多年草で、日本にはニッコウキスゲやノカンゾウ、ヤブカンゾウが自生し、古くから親しまれています。暑さ寒さに強いうえ、土壌もあまり選ばず、植えっぱなしでよく育ちます。「デイリリー」の英名どおり、花は一日花ですが、1本の花茎にたくさんの花を咲かせ、何本も立ち上がるので、長期間花が楽しめます。開花盛期は主に6月から7月ですが、5月から咲く早生品種から8月に咲く晩生品種まであります。園芸品種は2万以上あるといわれ、花色、花形、草姿などさまざまです。午前中の花が美しいです。


♡♡♡ 今日のとっておき ♡♡♡

【レンタル電動アシスト付き自転車】シェアサイクルやサブスクやレンタルを活用して電動アシスト付自転車を検討するのも正解です。


彡§彡 日本の庭園と公園 §彡§

【長野県 松本市】 百瀬家庭園(ももせけていえん)

百瀬家庭園は、多くの石を立てて作られている非常に珍しい庭園です。庭園の規模は小さいものの、枯滝(雄滝)を二つも配しており、見る人に力強い印象を与えます。明治20年代(1887年~1896年)に撮影されたとみられる写真には、うっそうとした庭園が写っており、遅くとも江戸時代後期には作られたと推定されます。また、貞享年間(1684年~1688年)頃に作られたとされる出川の中田氏庭園(県名勝)と比較すると、石の産地や使い方が異なっていることから、百瀬家庭園はそれよりも遅い江戸時代中期以降に作られたとみられ、江戸時代の文献から漏れていることからすれば、江戸時代末期に作られた可能性が高いと考えられます。大正4年(1915年)に行われた大規模な改修が、昭和44年(1969年)に作庭家・重森三玲の指導で元の姿に戻され、書籍等に紹介されたことから広く知られるようになりました。この庭園に使われている石は、安山岩、グリーンタフ、ホルンフェルス、花崗閃緑岩で、花崗閃緑岩を除けばいずれも松本付近の石と見られます。最も多い六角形に割れる柱状節理をもつ安山岩は、アルプス公園から島内平瀬地区にかけてと岡田伊深地区に見られ、鉱物組成・組織・粒度の点では伊深地区で産出する伊深石の可能性が高いと考えられます。(松本市HPより)

彡 ω彡 ご一読ありがとうございましたω彡ω彡

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