おはようございます。本日のお日柄は以下の通りです。
上弦の月 : 一〇時二一分 「上弦の月」とは、月が沈むときの姿を「弓」に例え、地平線に対して弦を上にして沈む姿から名づけられました。 反対に「下弦の月」は、沈むときに弓の弦を地平線に向けて沈んでいきます。 「上弦の月」は、夜半頃に沈み、「下弦の月」は、昼間に沈みます。
東京のお天気 : 曇り時々晴れ
最高気温 11度 / 最低気温 3度
日出 06:50/118度
日没 16:37/241度
昼時間 09:47
月出 11:43/ 88度
月没 (無し)
正午月齢 6.7
満潮 10:33 22:20
干潮 3:39 16:54
ひのと み :(丁巳)波乱あるも下押し強し
七赤 : 【天 象】秋・西風・天侯変り易い・雨・暴風雨・日没・涼気・夕ぐれ・新月・九月(酉月)午後五時~午後七時(酉刻)・西方三〇度【色 数】白色・四・九【象 意】悦ぶ・安楽・沢・金銭・酒食・愛嬢・色情・祝賀・結婚式・口論・雄弁・金融・不足・不充分・借金・経済・趣味・娯楽・御馳走・浪費・解逅の悦び・接吻・婚態・有終の美・浄土・清貧・遊興中・食事中・節度・恋愛【人 物】少女・芸人・芸者・ホステス・後妻・妾・出戻り女・金融業者・弁護士・親なし子。不良少女・飲食業者・通訳者・仲介者・歯医者【植 物】秋の草花類ー尾花・桔梗・月見草・しょうが・からし菜
先勝ち : 急用や訴訟などに用いて吉の日とされています。ただし午後は凶となります。
とる : 執 万物の活動に育成を執行し促す日です。神仏を祀り、婚礼その他の祝い事、造作、種まきなどには吉で、金銭の出し入れ、財産整理には凶です。
婁(ろう): 動土造作、嫁取りの相談事、契約取引始め、造園吉。
十し : 十死日 善悪ともに用いられない日としています。十は数字の十ではなくことごとくの意味で、婚礼、葬式に用いると大災害を被ると伝えられています。
◇◇◇今日のひと言◇◇◇
今日は晦日。明日は大晦日ですね。2022年もあと今日と明日になりました。朝陽の昇るのが見られる窓辺が大好きです。太陽の光に赤く染まる川の姿も見事です。この季節は空気が澄みわたり、遠くまで見通しが良く夜明けの2時間以上前にはワクワクして早起きになります。その分、人より早寝になります。今は人並み以上に睡眠をとっていますが、体調を崩す前から、もっとちゃんと睡眠がとれていれば、今も現役でお勤めできていたのでしょう。タラレバ事は夢のまた夢です。後悔はしません。反省は良い事だと考えています。うっかり油断してしまい自分の身体を守れなかった事を深く反省しています。心と身体を守るのに、見た目と硬い鎧は有効です。ということで金髪のヘアスタイルにしてみました。日々のケアはシャンプーです。
☆彡 ☆彡お花の事 ☆彡 ☆彡
小鬼田平子(花言葉「調和」)キク科ヤブタビラコ属
オニタビラコの名前は、田んぼで羽状に分裂した葉がきれいなロゼット状に広がる様子から、単に「田平子(タビラコ)」とも呼ばれます。同科の植物である「オニタビラコ(鬼田平子)」よりも小さいため、「小鬼(コオニ)」と付けられていますが、厳密にはオニタビラコは別属の植物です。また、羽状に分裂した葉がきれいなロゼット状に広がる様子から、春の七草では「ホトケノザ」という別名で呼ばれていますが、シソ科の植物に「ホトケノザ(仏の座)」という同じ名前の植物があり、勘違いされることがあります。
彡§彡 日本の庭園と公園 §彡§彡
【岩手県】 南昌荘庭園(なんしょうそうていえん)景観重要建造物
荒川鉱山(秋田県)の経営者、瀬川安五郎が、1884年の盛岡河南大火で餌差小路(現肴町)の自宅を焼失、翌1885年ごろ、上衆小路(清水町)に自宅として新築したのが後の南昌荘である。当初の姿は1894年「盛岡市実地明細図」の「盛岡市、上衆小路、瀬川安五郎邸、裏西景」で分かり、現在の建物は金田一勝定時代に増改築されて大きく変わっている。比べてみると、庭園を見下ろす高床の棟以外は大きく形を変え、東西端に座敷を持つ配置にし、特に現在の玄関がつく棟が2階茅葺きから瓦葺き平屋に、また、玄関の右側の蔵のところは3間続きの座敷に増改築されている。1907年に第五代盛岡市長に就任した大矢馬太郎は、同年、瀬川安五郎から南昌荘を取得した。大矢家では、これを別荘として使用し、1908年原敬夫妻が1カ月滞在、翌年は伊藤博文が韓国皇太子李垠殿下とともに盛岡を来訪し、南昌荘では歓迎の園遊会を開催している。1910年盛岡銀行(岩手銀行の前身)の実質経営者だった金田一勝定が邸宅を入手し、金田一は、2階大広間に隣接して、3間増築するなど大幅に手を加えた。この南昌荘と2002年まで残っていた中央通の別邸とは外観、内装ともよく似ており、簓子下見板に漆喰壁、釉薬赤瓦の屋根、内部はオーソドックスな書院風の和室、庭に開放的な縁側がまわり、ガラス戸が入り、当時の完成された盛岡の近代和風スタイルを守り、堅実なつくりである。現在、玄関棟の東側が寸詰り状に切れているが、この切断面の形状からこの先は寄せ棟で、かつ中庭越の本庭側座敷棟と通じる廊下、家事室などの部屋があったことを想像できる。その後金田一家から盛岡・穀町の呉服卸商(現赤澤繊商)赤澤多兵衛が所有し、1987年からは、いわて生活協同組合の所有となっている。(盛岡市HPより)
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