2023年1月16日(月曜日)睦月 旧暦廿五日

おはようございます。本日のお日柄は以下の通りです。

日出  06:50/115度
日没  
16:52/244度
昼時間 
10:02

月出  00:37/104度
月没  
11:40/252度
正午月齢
23.7

きのえ いぬ :(甲戌)人気と反対の相場出づ

二黒 : 【天 象】晩夏から初秋・曇り・霧・雇・七月(未月)・八月(申月)・午後一時より三時(未刻)~午後三時より五時(申刻)・南方位と西方位の間で南西六〇度【色・数】黒・濃紺・五・十
象 意】大地・平地・地球・従順√勤労・地役「生産・勤勉・慈愛・寛容・貞節・母性愛・地味・無欲・怠惰・愚鈍・遅滞・躊躇・迷い・無知・青春【人 物】母・老婦人・妻・皇后・補佐・脇役・大衆・農夫・労働者・無能力者【植 物】苔・わらび・黒柿・黒壇

赤口 : 新規の事始めはもちろん何事をするにも忌むべき日とされています。ただし正午のみ吉。

おさん : 納 五穀の収納、商品の買い入れなどには吉ですが、婚礼、見合いなどは凶です。

心(しん): 神仏の祭祀、移転、旅行吉。婚礼、譜請け、建築、葬式凶。

めつもん : 滅門 陰陽家の説で、悪日の一つ。正月の巳の日、二月の子の日というように、月によって異なる。この日に事をなすと、その家門は滅亡するという。

東京のお天気 : 雨のち曇り

最高気温 10度 / 最低気温 6度

満潮   10:40   *
干潮   4:26   18:26

やぶ入り : 「藪入り」とは、住み込みの奉公人や嫁いできた娘が実家へ帰ることができる休日のことで、お正月の1月16日とお盆の7月16日が藪入りの日にあたりました。 江戸時代に広がった風習で、昔は奉公人に定休日などなく、娘も実家に帰ることはままならなかったため、藪入りだけが、大手を振って家に帰ったり、遊びに出かける日だったのです。

賽日 : 盂蘭盆と重なる7月16日とを「大斎日」と呼び、閻魔詣での寺院は格別にぎわいました。現在でも、閻魔堂で名高い各所の寺では、この両日に閻魔大開帳や護摩炊き法要がおこなわれます。そしてまた、1月16日と7月16日は「地獄の釜の蓋も開く」日とされていました。

えんま詣り : 地獄で閻魔大王が亡者を責め、さいなむことをやめる賽日であると言われるようになり、各地の閻魔堂や十王堂で開帳が行われるようになって縁日がたつようになりました。

真宗本派親鸞聖人忌 : 「報恩講」とは、親鸞聖人のご恩に報いる法事です。親鸞聖人のご命日は、旧暦で11月28日。新暦で1月16日です。東本願寺では11月21日から28日まで勤められ、西本願寺では、新暦の1月9日から16日まで「御正忌(ごしょうき)報恩講(ほうおんこう)」が勤められます。

◇◇◇今日のひと言◇◇◇

明日は冬の土用となります。立春前の約18日間、季節の変り目で体調を崩しやすいとされています。温かな物を食べ、この先に何かをしていくための準備期間として過ごすのがお勧めです。節分と立春は1年で一番大切に過ごしたい1日です。この日の為の準備期間と考えるとワクワクします。

☆彡 ☆彡お花の事 ☆彡 ☆彡

オステオスペルマム(花言葉「無邪気」)キク科 / オステオスペルマム属

オステオスペルマム属には一・二年草の種類もありますが、日本で出回っているのはオステオスペルマム・バーベリエ、オステオスペルマム・フルティコサムなどを交配させた、多年草の園芸品種です。株を埋めるように次々と咲くカラフルな花が特徴です。夜間や天気の悪い日は花を閉じる性質がありますが、花が閉じにくい、もしくは閉じない園芸品種もふえています。花色は紫、白、ピンクが中心でしたが、同じキク科で近縁のディモルフォセカとの交雑によって、黄花やオレンジ花を咲かせる、開花期間が長い園芸品種も誕生しています。


♡♡♡ 今日のとっておき ♡♡♡

節分まであと18日。断捨離を成功させて、可愛い小物を飾りたいと考えています。水周りもきれいにします。


彡§彡 日本の庭園と公園 §彡§彡

【岩手県】 盛岡城跡公園(もりおかじょうあとこうえん)

盛岡城は、三戸から不来方(こずかた)の地に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶなお:盛岡藩初代藩主)が、慶長2(1597)年に嫡子利直(としなお:2代藩主)を総奉行(そうぶぎょう)として築城を始めたと伝えられています。城の縄張りは豊臣家重臣の浅野長政の助言によるものといわれ、北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵上に本丸・二ノ丸・三ノ丸・淡路丸(あわじまる)など曲輪(くるわ)を配し、それぞれに雄大な石垣を構築して内曲輪(うちくるわ)=御城内(ごじょうない)としています。
さらに、内曲輪の北側は起伏の激しかった現在の内丸地域を平坦にして堀と土塁で囲み、南部氏一族や藩の重臣たちの屋敷を配置して外曲輪(そとくるわ)としました。また、外曲輪の北側と東側の中津川対岸の城下も堀と土塁で囲み、武士や町人たちの屋敷街である遠曲輪(とおくるわ)=総構(そうがまえ)が配置されています。築城工事は、北上川や中津川の洪水にみまわれながらも続けられ、築城開始から36年後、おおよその完成をみた寛永10(1633)年に南部重直(しげなお:3代藩主)が入城して以降、藩政時代を通じて盛岡南部氏の居城となりました。盛岡城は、明治の廃藩置県の後明治5(1872)年に陸軍省所管となり、明治7(1874)年には内曲輪(御城内)の建物の大半が取り壊され、城内は荒廃しました。その後、明治39(1906)年に近代公園の先駆者である長岡安平(ながおかやすへい)の設計により岩手公園として整備され、市民の憩いの場として親しまれています。平成18(2006)年には開園100周年を記念し、「盛岡城跡公園」と愛称をつけました。また、「日本の名城100選」や「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。(盛岡市HPより)

ω彡 ω彡 ご一読ありがとうございましたω彡ω彡 

「いいね!」や、お気に入り登録もよろしくお願いします 。拝


最後までご覧いただき誠にありがとうございます。こちらからシェアしていただけます。よろしくお願いいたします。拝
ひよこ豆をフォローいただけますと嬉しいです。よろしくお願いいたします。拝
ひよこのお日柄

コメント頂けると励みになります。 いつも応援いただき深く感謝申し上げます。

タイトルとURLをコピーしました