2023年6月24日(土曜日)水無月 星宿 旧暦七日

おはようございます。写真は小田原城の菖蒲。本日のお日柄は以下の通りです。

日出  04:26/ 59度
日没  19:01/300度
昼時間 14:35

月出  09:38/ 74度
月没  
23:04/282度
正午月齢
5.9

みづのと うし:(癸丑)高保合いで変化なし

大安 : 陰陽道でこの日、婚礼、旅行、建築、移転、開店等、何事をするのにも吉の日とされています。

あやぶ : 危 何事も控えめに慎むべきで、とくに旅行、登山は凶で酒造りのみ吉です。

柳(りゅう): 物事を断るに用いてよき日。婚礼、新規事の開始凶。

天おん : 天恩日 この日は天から、万物をあわれんで下界へ恩恵を下される日ですから、すべてに吉ですが、とくに屋根ふき、種まき、婚礼などによく、たとえ小悪日なら重なっても天恩日の徳がまさって妨げなしという日です。

八白 : 【天 象】立春・気節の変り目・曇天・天候の変化一月(丑月)二月(寅月)・午前一時~三時(丑刻)・午前三時~五時(寅刻)・東北方六〇度【色・数】黄色・褐色・五・十【象 意】山・親戚・継目・節・相続・親子・兄弟・姉妹・改革・交代・変化・断絶・曲り角・停止・終点・閉店・廃業・再起・復活・集団・組織・組合・交代・組み立て・貯蓄・終始・連絡・取り次ぎ・進級・中退・連鎖反応・接続・連繋・反転敵船・伝統【人 物】小男・幼児・相続人・兄弟・親子・後継者・強欲の人・肥満した人・女系家族・仲介者・売春周旋人・養子・山伏・山中の人・囚人・再生業者・不動産業者・少年・孤児・親友【植 物】竹の子・苛・甘藷・馬鈴薯・山芋・百合根・つくし・木になっている果実

東京のお天気  曇り

最高気温 29度 / 最低気温 22度

満潮   7:34   21:23
干潮   2:17   14:39

東京芝愛宕千日詣り : 安藤広重の江戸名所百景では版画として採用され、三代将軍・家光の時には曲垣平九郎が急な石段を馬で駆けのぼり、幕末には勝海舟や西郷隆盛もやってきて江戸の街を見下ろし、江戸城総攻撃を回避する結果に導いたことで有名な芝の愛宕山・愛宕神社のほおづき市です。普段はものすごく静かで閑散としているこの神社ですが、この千日詣り・ほおづき市の時は出世の石段には燈明が置かれ、拝殿前には茅の輪(ちのわ:これをくぐれば病気にならないと云われる、夏のお祓いの施設)が据えられて参拝者の列ができ、境内はすれ違うのにちょっと待つくらいに賑やかになります。そもそもその場所は都心にこんもりと盛り上がる山の頂上で決して広い場所ではなく、ちょっと人が集まれば混雑状態になるわけです。ちなみにここは江戸時代には江戸市中有数の行楽地であり、展望所だったそうで、眼下にはビッシリと密集した武家屋敷や海まで見えたという幕末・明治の写真が残っています。境内には露店出ていました。数店です。隣接して気品のある飲食処、ちょっと離れてNHK放送博物館があります。お祭りは午後8時で終了し、燈明は撤去され露店も閉まるので、夕方からがとてもきれいです。出世の石段・男坂の麓には酒屋さんがあります。江戸時代の写真も残る老舗です。

清正公忌 : 加藤清正公は「妙」「法」「蓮」「華」「経」の五文字を冠した五つの寺を建立しています。25才の時に、父の菩提を弔うため難波に本妙寺を建立し、その後の越後水俣の法華寺、豊後鶴崎の法心寺、長崎の本蓮寺、肥前大村の本経寺がそれです。ちなみに、本妙寺は肥後の領主となった後にわざわざ熊本城下に移しました。この他数多くの神社仏閣、京都の本圀寺の三十三番神堂、東京池上本門寺の石段此経難持寺を建立しています。清正の善政の功績は、今なお熊本市民に慕われています。
永禄5年(1562年)6月24日尾張国(おわりのくに)生まれで、豊臣秀吉(とよとみひでよし)とは血縁関係にあり、双方の母親が従姉妹同士だったという説もあります。幼名を夜叉丸(やしゃまる)といい、9歳の頃から秀吉に仕え、元服してから加藤虎之助清正(かとうとらのすけきよまさ)を名乗りました。初陣がいつかは明らかではありませんが、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いでは「七本槍」の1人に数えられ、その後も数々の武功を立てました。天正16年(1588年)清正はそれまでの侍大将から、いっきに肥後北半国19万5000石の領主を任命されます。清正27歳のときでした。前年に佐々成政(さっさなりまさ)が肥後統治に失敗した後を受けたものでした。入国当時の肥後は国衆(こくしゅう)と呼ばれる土豪がひしめく難治の国で、しかも長引く戦乱で国内は荒れ果てていました。当時肥後を訪れた宣教師が「これほど貧しい国を見たことがない」と書き残しているほどです。入国後清正は治山治水、新田開発などに力を入れ、また南蛮貿易に乗り出すなど、積極的に領地経営を進め、国はどんどん豊かになり、結果領民からは神様のように慕われるようになりました。今でも熊本では善政の事跡は全て「せいしょこさんのさしたこつ(清正公のなさったこと)」となるのです。文禄・慶長の役では主力として7年間戦い続け、秀吉の死後起きた関ヶ原の合戦では、石田三成(いしだみつなり)、小西行長(こにしゆきなが)らとの確執から東軍につき、小西滅亡後は肥後南半国も領して、実質ともに54万石の大大名となります。関ヶ原で東軍についたとはいえ、豊臣家に対する清正の想いは並大抵のものではなく、慶長16年(1611年)二条城(にじょうじょう)で秀吉の遺児秀頼(ひでより)と徳川家康(とくがわいえやす)を会見させることに成功しました。これで豊臣家も安泰と思われたのですが、清正は二条城の会見から熊本に帰る船中で発病し、熊本城で亡くなりました。享年50歳。奇しくも生まれた日と同じ6月24日でした。豊臣家も清正の没後わずか4年で大坂夏の陣に破れてしまいます。加藤家の菩提寺本妙寺(ほんみょうじ)では、毎年清正の命日(新暦7月23日~24日)に頓写会(とんしゃえ)と呼ばれる法要が行なわれ多くの参拝客で賑わいます。

◇◇◇今日のひと言◇◇◇

日中は蒸し暑く感じそうですね。プルメリアの花芽も大きく育っています。今日は断るのに好日です。無理難題からは自分自身が壊れる前に撤収しないと、身体を壊します。壊れた身体は元には戻りませんでした。

☆彡 ☆彡お花の事 ☆彡 ☆彡

ヤエクチナシ(花言葉「幸せな日々」)アカネ科クチナシ属

クチナシは梅雨どきに大型で純白の6弁花を咲かせて強い香りを漂わせ、秋には橙赤色の果実をつけます。この果実は黄色の染料として利用され、また漢方では山梔子(さんしし)として用いられていますが、熟しても裂開しません。つまり口が開かないことから「クチナシ」の和名がつけられたとされています。ただし、庭木としてよく栽培されているクチナシは、大型の花で八重咲きのオオヤエクチナシ(別名ヤエクチナシ、英名ガーデニア)が多く、こちらは花は豪華ですが実はつけません。近縁種に樹高30~40cmの低木で地表を這うように枝が横に広がるコクチナシや葉が丸いマルバクチナシなどがあります。


♡♡♡ 今日のとっておき ♡♡♡

【コーヒーメーカー】朝にもひと息つく時間は貴重です。スリムなボディに充実機能搭載モデル ご自宅でスターバックスを。


彡§彡 日本の庭園と公園 §彡§

【東京都 ⑨】 岡本太郎記念館(おかもとたろうきねんかん)

記念館の庭は岡本太郎の美意識を伝える重要なメディアです。一瞥してわかるとおり、観賞用の花もなければデザインもされていません。芭蕉、シダ類、雑草が自然のままに生い茂り、そのなかに彫刻が放り出されているだけ。彫刻と植物が渾然一体となり、作品の眼からは草が生えています。その風情はまるで古代遺跡。「東京のど真ん中にこんな場所があるなんて!」。この庭は若者たちのパワースポットになっているようです。(岡本太郎記念館HPより)

ω彡 ω彡 ご一読ありがとうございましたω彡ω彡 

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ひよこのお日柄

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